太宰治

太宰治が住んでいた街
 
 


太宰治は甲府在住の石原美知子さんと結婚するまでの間(昭和13年11月〜12月)清運寺に参道に面した寿館という下宿屋に住んでいました。このころの太宰はその生涯において比較的安定した穏やかな生活をしていたようです。ここは当時婚約していた石原美知子さんの家にも近く、この参道を通って太宰も美智子さんに会いに通ったことでしょう。当時この参道は石畳でしたが今はアスファルト舗装になっています。しかし太宰が踏みしめていた敷石は境内に移転して藤棚の下に敷き詰めてあります。どんな思いで太宰はこの石を踏みしめていたのか。そんなことを想像しながら散策してはいかがでしょうか。
 
 


清運寺境内に残る石畳
 
寿館
寿館は戦災で焼けてしまい個人の住宅となっています。太宰は昭和13年の大晦日までここで暮らし、昭和14年1月8日に東京杉並にある井伏鱒二の家で結婚式を挙げました。そして、この寿館を出て、そこから歩いて10分ほどの御崎町に新居を構えるのです。
 
太宰治の小説『I can speak』に寿館の向かいにあった製糸工場のことと思われる1節があるのでご紹介します。「甲府のまちはずれの下宿屋、日当りのいい一部屋かりて、机にむかって座ってみて、よかったと思った。また、少しづつ仕事をすすめた。おひるごろから、ひとりでぼそぼそ仕事をしていると、わかい女の合唱が聞こえて来る。私はぺンを休めて、耳傾ける。下宿と小路ひとつ距て製糸工場が在るのだ。そこの女工さんたちが、作業をしながら、唄うのだ。なかにひとつ、際立っていい声が在って、そいつがリイドして唄うのだ。鶏群の一鶴、そんな感じだ。いい声だな、と思う。お礼を言いたいとさえ思った。工場の塀をよじのぼって、その声の主を、ひとめ見たいとさえ思った。」